東京地方裁判所 平成7年(ワ)13275号 判決 1997年1月29日
原告
前田吉明
被告
大沼健一
主文
一 被告は、原告に対し、金七四二万六二九二円及びこれに対する平成五年一一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金四二五一万七六九五円及びこれに対する平成五年一一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実及び容易に認められる事実
1 原告は、普通乗用自動車(以下「原告車」という。)を運転し、谷原方面から目白方面に向かつて目白通りのセンターライン寄りを走行中、平成五年一一月一二日午前三時四〇分ころ、東京都練馬区豊玉北一丁目一四番先道路において、被告が、右通りの歩道寄りに停車していた普通貨物自動車(以下「被告車」という。)を右折させたため、原告車の左前部と被告車の右後部が衝突した(以下「本件交通事故」という。なお、原告車と被告車が衝突した交差点を以下「本件交差点」という。甲第二号証の一・八、乙第一号証の一ないし八・一〇、原告の本人調書一頁・二頁・一四頁・一五頁。)。
したがつて、被告は、原告に対し、自動車損害賠償保障法三条本文により損害賠償責任を負う。
2 原告は、本件交通事故により、頸椎捻挫・胸部打撲・頸椎損傷・喉頭外傷・右耳の感音性難聴の傷害を受け、平成五年一一月一二日から平成六年一月一四日まで丸茂病院に入院し(六四日間)、平成六年一月一七日から同年六月二三日まで丸茂病院・東京大学附属病院に通院した(丸茂病院の通院実日数は少なくとも五八日間、東京大学附属病院の通院実日数は一六日間である。甲第二号証の三ないし六、第六号証の一)。
3 被告は、原告に対し、本件交通事故による損害賠償として六二五万二〇〇七円を既に支払つた。
なお、その内訳は、治療費八一万〇八九五円、看護費五一万二九九二円、通院交通費二一万九六五四円、入院雑費五万一二〇〇円、休業損害四六一万五二七二円、その他四万一九九四円である(乙第四号証)。
二 争点
1 原告の主張
(一) 被告の過失相殺の主張は争う。
(二) 被告の既往症による損害額の減額の主張は争う。
原告は、本件交通事故により次のとおりの損害を受けた。
(1) 未払治療費 二万一七七五円
ただし、既払分(前記一3)に含まれている。
(2) 通院交通費 五万六九四〇円
ただし、既払分(前記一3)に含まれている。
(3) 休業損害 四六一万五二七二円
ただし、既払分(前記一3)に含まれている。
(4) 入通院慰謝料 八五万二〇〇〇円
(5) 後遺障害による逸失利益 三七二四万五五六九円
ア 原告は、本件交通事故により、次の後遺障害がある。
<1> 外傷性右難聴により右耳が聞こえない。
<2> 外傷性右声帯粘膜欠損により発声が困難であり、通常の会話ができない。
<3> 中心性脊髄損傷等により右上肢にしびれ感があり、外筋力が低下し、通常の歩行が不可能である。
イ 後遺障害による逸失利益は、右後遺障害の程度、年収八三七万一二九六円、ホフマン係数七・九四五に基づいて算定した金額である。
(6) 後遺障害による慰謝料 三九九万円
2 被告の主張
(一) 原告は、本件交通事故につき二割の過失がある。
(二) 原告には、本件交通事故前から第四頸椎ないし第六頸椎間に退行変形の兆候である骨棘形成・椎間板狭小化があり、脳脊髄液の流れの幅が狭まつていた。
そして、原告の脊髄損傷が発症したのは、右素因に本件交通事故による外傷が加わつたためである。すなわち、脳脊髄神経のトンネルが狭かつたところに、本件交通事故による衝撃を受け、健常者に比べ、その外力が大きく伝わつたため、脊髄損傷が発症したものである。
したがつて、民法七二二条二項の類推適用に基づき、原告の右既往症につき二割の損害額の減額をすべきである。
第三当裁判所の判断
一 過失相殺について
1 本件交通事故のときの天候は雨でアスフアルト舗装がぬれており、見通しは直線で約五〇メートルであつた。
なお、本件交通事故現場は、右折が終日禁止されている。
2 被告は、本件交差点で左折しようとしたところ、本件交差点に停車中の車があつたため右折しようと考え、右折を開始した。
すると、右後方を直進して来る原告車がクラクシヨンを鳴らしたのに気が付いたが、右サイドミラーを見ると小さいライトが見えただけなので、原告車が来る前に右折を終了できると考え、時速約一〇キロメートルで右折を続けたところ本件交通事故が起きた。
一方、原告は、時速約六〇ないし七〇キロメートルで走行していた(なお、本件交通事故現場付近の道路の最高速度は時速五〇キロメートルに規制されている。)が、本件交通事故が起きる直前に被告車を発見し急ブレーキを掛けたが間に合わずに衝突した(なお、原告は右直前まで被告車の存在に気付いていない。)。
(乙第一号証の一ないし八・一〇、原告の本人調書一頁・二頁・八頁・九頁・一四頁・一五頁)
3 以上のことからすると、原告には、本件交通事故につき二割の過失があるというべきである。
二 原告の後遺障害及び既往症について
1(一)(1) 自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲第二号証の五。なお、甲第一五号証及び第一六号証も同趣旨である。)及び中井医師の証言(中井医師の証人調書三頁ないし五頁・八頁ないし一四頁・一八頁ないし一九頁)によると、原告の後遺障害につき次のことが認められる。
ア 症状固定日 平成六年六月一五日
イ 傷病名 中心性脊髄損傷、外傷性右声帯粘膜欠損、外傷性右難聴
ウ 自覚症状 右上下肢しびれ感、右上下肢筋力低下、右耳が聞こえずらい、声が出しずらい
エ 他覚症状及び検査結果
<1> 右上肢
(a) 反射 上腕二頭筋反射がない、上腕三頭筋反射がない、腕橈骨筋反射は正常
(b) 知覚 C5~7 8/10、C8~th 2/10(なお、10が正常である。)
(c) 筋力 上腕二頭筋が三、上腕三頭筋が三、手首の伸展動作が四、屈曲動作が三(なお、五が正常である。)
(d) 握力 八キログラム
<2> 右下肢
(a) 反射 膝蓋腱反射がない、アキレス腱反射がない
(b) 筋力 長母指伸筋が五、前脛骨筋が四プラス、腓腹筋四プラス(なお、五が正常であり、四プラスは五に近い四を意味する。)
(c) 知覚 L4~L5 8/10、S1~S2 2/10(なお、10が正常である。)
(2) また、東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科の新美医師作成の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲第二号証の六)によると、原告の後遺障害につき次のことが認められる。
ア 症状固定日 平成六年三月二三日
イ 傷病名 喉頭外傷、感音性難聴(右)
ウ 自覚症状 嗄声、右難聴
エ 他覚症状及び検査結果 左声帯に外傷性と考えられる組織欠損を認める。機能としては高度嗄声あり
オ 聴力 平成六年三月七日及び同年五月一二日 六分平均 右が六三デシベル 左が一〇デシベル
(二)(1) ところで、中尾医師作成の意見書(乙第三号証)には、『神経学的所見が不足しており「右上下肢しびれ感、筋力低下」が頸椎に由来していると確定できない。現在の資料で考えられる可能性は、1.これらの症状が頸椎以外から引き起こされていて、事故との因果関係がほとんどない。2.これらの症状が頸椎から由来しているとした場合、椎間板狭小、後方骨棘形成等の素因が外傷と共に症状形成に関係している。のいずれかであり、いずれの場合にしても事故が一〇〇%症状形成に寄与しているとはいえない。』との記載がある。
(2) そして、右意見書において、右上下肢しびれ感、筋力低下の症状が、頸椎以外から引き起こされているため、本件交通事故との因果関係がほとんどないとする根拠は、後遺障害診断書に、「右」上肢、下肢の所見しか記載がなく不十分であること、受傷当初の診断書では「左」上肢しびれ感との記載があつたにもかかわらず、後遺障害診断書では「右」に変化しており、右診断書に信用性がないことを挙げている。
なるほど、丸茂病院の丸茂医師が平成五年一二月二二日作成した診断書(甲第二号証の二)には左上肢しびれ感プラスとの記載があり、丸茂病院の中井医師作成の後遺障害診断書(甲第二号証の五)の自覚症状欄には右上下肢しびれ感との記載がある。
しかしながら、中井医師は、原告を診察した際、右上肢のしびれ感を原告が訴えており、右診断書(甲第二号証の二)に左上肢しびれ感のみしか記載されていないのは右診断書を記載した丸茂医師の見落としではないかと証言していること(同人の証人調書三頁・六頁ないし八頁。なお、左側の所見は正常範囲にあるから後遺障害診断書に記載されていない(甲第一六号証)。)からすれば、右診断書(甲第二号証の二)と右後遺障害診断書(甲第二号証の五)の各記載のそごをもつて、右上下肢しびれ感、筋力低下が頸椎に由来していないことの根拠とは直ちにはいえない。
(3) また、中尾医師作成の意見書(乙第三号証)には、「仮に症状が頸椎由来であつた場合について以下に述べる。頸椎単純レントゲン写真では骨折、脱臼等の外傷性の所見は無い。主治医診断書にもあるように、第四、第五頸椎間、第五、第六頸椎間に椎間の狭小、後方(脊髄神経の存在する脊柱管へ向かつた)骨棘形成をみる。これらの変化は、数十年を経て徐々に形成された加齢変性による変化であつて、今回の事故によつて生じた変化ではない。本来の脊柱管前後径は狭くはないが、これらの加齢性変化によつてやや狭窄しており、MRIのT2強調画像では第四~第六頸椎レベルでくも膜下腔(脊髄のまわりにある脳脊髄液をいれた空間)が狭められていて、軽い外力によつても脊髄が損傷されやすい状態(易損性という)になつている。このような易損性の状態にある脊髄は通常人では頸椎損傷を起こさないような軽微な外力、とくに伸展力により前後方向の圧迫を受け頸髄損傷を発症する。本件は、受傷状況、物損から推定して頸椎に働いた外力は骨折や脱臼を起こすほど大きなものではなく、軽度な外力と被害者の素因が競合して生じた骨傷のない頸髄損傷と考えられる。以上により、仮に症状が頸椎由来であつた場合でも症状形成には事故のみでなく素因も関与していることとなる。」との記載がある。
しかしながら、被害者が平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴を有していたとしても、それが疾患に当たらない場合には、特段の事情の存しない限り、被害者の右身体的特徴を損害賠償の額を定あるに当たり斟酌することはできないと解すべきであるところ、右意見書の記載を前提としても、原告の第四、第五頸椎間、第五、第六頸椎間に椎間の狭小、後方(脊髄神経の存在する脊柱管へ向かつた)骨棘形成が、数十年を経て徐々に形成された加齢変性による変化であつて(甲第一七号証(中井医師作成)、中井医師の証言(同人の証人調書五頁・六頁・一六頁)も同趣旨である。)、これが疾患に当たらないことはもちろん、このような身体的特徴を有する者が一般的に負傷しやすいものとして慎重な行動を要請されているといつた事情は認められないから、前記特段の事情が存するということはできず、右身体的特徴と本件交通事故による加害行為とが競合して原告の傷害が発生し、又は右身体的特徴が被害者の損害の拡大に寄与していたとしても、これを損害賠償の額を定めるに当たり斟酌するのは相当でない。
したがつて、原告の既往症を斟酌して損害額を減額すべきとする被告の主張(前記第二の二2(二))は失当である。
三 損害額について
1 治療費 八一万〇八九五円
乙第四号証及び弁論の全趣旨により認められる。
2 看護費 五一万二九九二円
乙第四号証及び弁論の全趣旨により認められる。
3 通院交通費 二一万九六五四円
乙第四号証及び弁論の全趣旨により認められる。
4 入院雑費 五万一二〇〇円
乙第四号証及び弁論の全趣旨により認められる。
5 休業損害 四六一万五二七二円
乙第四号証及び弁論の全趣旨により認められる。
6 その他の損害 四万一九九四円
乙第四号証及び弁論の全趣旨により認められる。
7 入通院慰謝料 八五万二〇〇〇円
入通院慰謝料は、原告が、平成五年一一月一二日から平成六年一月一四日まで丸茂病院に入院し(六四日間)、平成六年一月一七日から同年六月二三日まで丸茂病院・東京大学附属病院に通院した(丸茂病院の通院実日数は少なくとも五八日間、東京大学附属病院の通院実日数は一六日間である。)こと(前記第二の一2)からすると、八五万二〇〇〇円を下回らない。
8 後遺障害による逸失利益 六四九万三八六七円
(一) 原告の平成六年三月七日及び同年五月一二日における聴力が、「六分平均 右が六三デシベル」であり(前記二1(一)(2)オ)、原告が、右症状の固定日である平成六年三月二三日(前記二1(一)(2)ア)において六〇歳であつたこと(昭和九年三月九日生まれ。甲第二号証の六)に加え、脊髄に圧迫所見があり(中井医師の証人調書四頁)、そのため右上下肢に神経症状があること(前記二1(一)(1)ウエ、原告の本人調書四頁)を総合すると、五年間は労働能力喪失率が一四パーセント、その後五年間は労働能力喪失率が五パーセントであると解すべきである。
なお、外傷性右声帯粘膜欠損による後遺障害は、本件交通事故により、しやがれ声になつたというものであつて、発音できない音があるというものではない(前記二(一)(2)ウエ、原告の本人調書五頁・六頁、弁論の全趣旨)から、外傷性右声帯粘膜欠損による労働能力喪失はないといわざるを得ない(なお、後遺障害による慰謝料で考慮することとする。)。
(二) そして、原告の年収は、二〇九万二八二二円(三二万五〇〇〇円及び一七六万七八二二円の合計額。なお、三箇月分である。甲第三号証の一、第一〇号証)に四を乗じた八三七万一二八八円であると推認できる。
(三) さらに、一〇年のライプニツツ係数が七・七二一七、五年のライプニツツ係数が四・三二九四である。
(四) したがつて、原告の後遺障害による逸失利益は、次の数式のとおり、六四九万三八六七円である。
8,371,288×0.14×4.3294=5,073,971
8,371,288×0.05×(7.7217-4.3294)=1,419,896
5,073,971+1,419,896=6,493,867
9 後遺障害による慰謝料 三五〇万円
後遺障害による慰謝料は、後遺障害の程度(前記8)によると、三五〇万円とするのが相当である。
10 損害合計 七四二万六二九二円
右1から9までの損害額が一七〇九万七八七四円であること、原告に過失が二割あること、既払金が六二五万二〇〇七円あること(前記第二の一3)からすると、損害合計は、次の数式のとおり、七四二万六二九二円である。
17,097,874×(1-0.2)-6,252,007=7,426,292
四 結論
よつて、原告の請求は、被告に対し、金七四二万六二九二円及びこれに対する平成五年一一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限りで理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、主文のとおり判決する。
(裁判官 栗原洋三)